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2009-07-23

榴ケ岡駅駅舎の謎?(^^)

JR仙石線の榴ケ岡駅は私にとっては最も最寄り駅だったりもするんで何かと気になる駅でもあるのですが、同駅々舎の変遷を新しい順から書いていくと

●現在の地下駅
●地下化工事中に作られた鉄骨構造の駅(仙石線オンラインメモリアルアルバム様のこちらに画像あり)
●地下化工事が始まってのプレハブ
●地下化工事始まるまであった木造の駅舎
●初代駅舎

となるものの、初代駅舎の画像を書籍などでも見た事が無い(^^)
とゆーかWikipediaの榴ヶ岡駅でも間違われてるけど、"初代駅舎=地下化工事始まるまでの木造駅舎"と思ってる人が多く、明らかに忘れられてて(^^)

最も駅舎の位置が変わったのが戦前の宮城電鉄の時代の話だからってのもあるんですが(^^)
初代駅舎は上りホームの石巻方にあって、地下化工事はじまるまで駅舎跡へ下りていく階段が残っていて、駅舎跡が保線関係の資材置き場になってたものの言われないと判らないし(^^;;;;

何より開業時からの地図を巡ってもらうと判るんですが、仙石線開業時って地下化工事始まるまでの同駅々舎が面していた道路が無いのよ(^^)
榴ケ岡郵便局の旧局舎が初代駅舎跡から見ると目の前の位置だったりしたってのもある意味名残のようなもんだったし(^^)

現在の榴岡公園から長町方向へ行く場合、坂を下りて一旦同駅石巻方にあった柳ノ目踏切の方へ周ることになっていたので、迂回を嫌った旧陸軍側の要請もあって道路が直線化され、その際に駅舎もそちら側に移ったってことらしいのですが、どっかに記録残ってないかなぁ…

(20:37 追記)
午後に時間があったので宮城県図書館へ行ってきましたが、同館の宮城電鉄関連の資料として見つけられたのは

『軍の宮電への要望に対する私見』山本豊次(1941年)
『宮電の回顧と其将来の検討』山本豊次(1940年)
『宮電の三世観』山本豊次(1933年)
『宮電の歴史』宮城電気鉄道社史刊行会(1976年)

の4冊のみで、1933年から1941年に掛けて当時の宮城電鉄社長の山本豊次氏がガリ版刷りで関係者向けに発行した3冊をまとめ、画像などを追加して出たのが1976年に出た『宮電の歴史』のようでした。
(『宮電の歴史』は仙台市の泉図書館にも蔵書あり)

山本氏が出した冊子は結構老朽化してて扱う際には注意が必要でしたが、発行時期が時期だけに当時の軍関係の記述部分の一部が検閲で塗りつぶした痕があったりで、今となってはなんでこんな事が検閲対象なったのだろうって部分(矢本町の現在の航空自衛隊松島基地建設等)もありましたが、今とは状況違うしなぁ…(^^)

『宮電の歴史』と比べると人によって塗りつぶし方に違いがあったのか、同館で保管していた分で塗りつぶしてなかった部分が『宮電の歴史』では伏せ字になってたりしてましたが、まぁ普通に見る程度ならば『宮電の歴史』だけで十分かと思います。

ま、榴ケ岡駅関連の記述は発見出来ず無駄足と言えば無駄足だったんですが(^^;;;
ざっと見た限り、新田(苦竹⇔小鶴新田間にあって苦竹駅新設に伴い廃止)⇔東照宮間の新線計画の他に、仙台(旧)地下駅の複線化やら地上8階地下1階の仙台駅々ビルの建設等も考えていたんですねー(^^)

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